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うつ病と院生の闘い④

  入院を宣告された当初よ私は入院することに抵抗がありました。その理由は①世間からの偏見の眼差し、②研究が出来なくなること、③入院費などの金銭的問題があったからです。

 

  私はうつ病に対して"病気ではない"、"ズル"、"負け組"という考えを持っていませんでした。しかし、そのような偏見を持つ人々の視線が気になっていたのです。「私も差別的な目で見られる」というある意味一種の偏見を私も持っていたのです。そのような"他人の視線"が私をうつ病の病原であったのは後々知ることとなります。

 

  入院した時期にも私にとっては問題でした。私が入院した1月という時期は大学院(修士、またはマスター)1年生にとって(文系だけかもしれませんが)大きな節目でした。修士課程は2年の課程で修士号取得のために2年生の最後に修士論文なるものを出さなければなりません。修士1年の2年生に上がるこの時期はこれまでに学んだことを自分の研究に取り入れ、論文執筆のためにその研究の意義や価値を見出し、方向性を決めなければならなかったのです。前回、すでに触れたように修士1年の課程での私は精神的にも肉体的にもボロボロの状態でした。そのうえ入院となれば、さらに自分の研究が遅れてしまうという懸念がありました。入院宣告は私にとってある意味、自分の研究への死刑宣告でもあったのです。

 

  また、家族と絶縁したため、入院費は自分で支払わなければなりませんでした。家庭に生活費を納めていた私でしたが、なにかあったときのために貯金をしていました。しかし、その額も限られていたため、将来の生活に不安を抱かざるを得ませんでした。

 

  以上のように精神的臨戦態勢に入っている一方で、ホッとした気持ちかま私のなかにありました。病棟のベットに横になったとき、はじめて"逃げ場所"を得られた実感がしたのです。様々な不安と葛藤が入り混じりながらも、やっと"安心"を得られたのでした。

 

  「少し休めばきっと良くなる」と信じていた私でしたが、入院は新たなる闘いの幕開けに過ぎなかったのです。