きびなごボールによるきびさんぽ、きび読書部をおおくりするブログっす!

きびなごボールのブログ

きびなごボールのきびさんぽときび読書部の活動を綴ったブログっす!

うつ病と院生の闘い①

はじめまして、私の名前はきびなごボールといいます。

 

この名前は私の趣味の一つであるラジオネームです。由来は単純で好きな釣りのエサの一つであるきびなごと大好きな野球からボールをもらったというものです。

 

もともと当ブログは読んだ本の感想を書くために開設したものです。最近、大学院の先輩から”うつ病の体験談を書いてみたら?”と言われました。これを契機に自分のうつ病体験談を綴ることで誰かのためにならないか?と思い今回書いてみることにしました。

 

けして明るい話ではありませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 

 

私は2011年の東日本大震災を高校2年生のときに体験しました。自宅は津波で流されまい、仮設住宅で暮らすことになりました。震災で多くの知り合いをなくし、なによりも恩師がなくなってしまったことがかなり辛かったです。

なぜこんな体験を多くの人々がしなければならないのか。新聞などの報道で”未曾有”と叫んでいるけれども、過去には「明治三陸地震津波」(1896年)や「昭和三陸地震津波」(1933年)があったのに多くの人々は知らなかった。もし、これらの災害が現代の多くの人々に伝わっていたらこのような大きな被害も出ず、多くの人々が犠牲にならずに済んだのではないだろうか。そのような思いから歴史学を通して災害の減災に貢献したいと思い研究の道を志ました。

 

高校卒業後、地元の私立大に入学、指導教員の勧めで大学院は地元の国立大に進学しました。さらに歴史災害の研究ができると思っていました。しかし、これが自分とうつ病の付き合いのはじまりでもありました。

 

私は進学が決まったあと、文科省認定の災害関係のプログラムがあることを知りました。そのプログラムは文学だけではなく、工学や理学などさまざまな分野を横断的に学ぶことで災害時に貢献できる研究者を育てるというものでした。同時に生活が十分にできる奨励金もついていました。私は他分野の知識や視点を入れた研究が必要であると以前から思っていたのですぐにそのプログラムに応募し、合格しました。

 

プログラムでの学びはとても刺激的で勉強になることが多かった一方で、自身の研究室の講義や仕事の二足のわらじとも言える環境がとても大変でした。講義の履修も他の学生よりも三倍ほど取らなければならなかったのです。自身の所属する研究室の仕事も官僚的で縦割りで、他大学からきた私にははじめてのことばかりで困惑していました。しかし、誰も仕事の内容を教えてはくれず、忙しいときも手伝ってくれませんでした。とにかく、自分でやらなければならなかったのです。また、他大学からきたとの理由だけで多くの講義の発表を任せられてしまいました。

 

気付けば入学して2〜3週間で、毎日朝帰り、睡眠は電車の往復の1時間、飲食の時間も惜しくなっていました。ひたすら研究室の机と講義に向き合っていたのです。結果、体重は10kg以上減少し、睡眠障害になってしまいました。

 

 

今回はここまでにして置きたいと思います。次回はうつ病の初期段階の話をしていきたいと思います。