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うつ病と院生の闘い②

こんにちは!きびなごボールです。

 

前回はうつ病になるきっかけをお話してきました。

いわゆるオーバーワークをしてしまったのです。今思えば逃げ道を探して体勢を立て直して諸課題に望めばよかったと後悔しているところがあります。これは院生だけではなく、会社勤めの方など様々なケースに当てはまると思います。「大学院生みたいに社会人は時間がとれない」とおっしゃる方もいるかもしれません。オーバーワークしてしまった私が言えるのはオーバーワークはうつ病のもとになるということです。いいかえれば黄色信号なのです。そのような状況にある方は逃げ道を作るべきだと思います。そうでなければ本当に取り返しのつかないことになります。

ではどんな逃げ道があるのか。一番の近道は”今自分がしたいこと”です。休みたいと思えば休めばいいのです。簡単に言うなとおっしゃりたい方もいるでしょう。でもよく考えてください。自分の命と仕事のどちらが大事かという問いなのです。当然、命が大切です。この問いに仕事と答える方がいたら、ピコピコハンマーで叩いてやりましょう!w

いずれにせよ、仕事と答える企業や学校は殺人と同格だと思います。そんなやつらがいたら即刻避難しましょう。

 

さて、話を戻しますと、大学院に入って2〜3週間でオーバーワークしてしまったのが前回までの話でした。当時の私は自分自身で命と仕事という問いに仕事をとってしまった愚か者でした。私は大学までスポーツをしてきたということもあり、体力には自信がありました。底知れない体力もあったせいでだましだましで仕事をなんとかこなしてしまったのです。

 

しかし、入学してから1、2ヶ月で体調はさらに悪化し、体力では解決できない心に傷がつく事件が発生していきます。

 

入学してから1、2ヶ月、生活リズムは前回とお話した内容と変わらず、朝から次の日の早朝まで大学で過ごしていました。体重はさらに10kg減量し、食事は喉を通らない状態にまで陥っていたのです。ご飯を少しでも食べると戻してしまい、一日の大半が立てないくらいの腹痛に襲われていました。私の体は悲鳴を上げ始めていたのです。

 

そんななか思わないところから刺客が現れたのです。

一つは自分の災害研究からでした。前回お話したとおり災害関係のプログラムに合格した私は様々な分野を学んでいました。ある時、多数の学生と交流しているとき、「震災のころを話して」と言われたのです。歴史学で災害の歴史を研究していた私でしたが、自身の東日本大震災の体験談について話すことについては躊躇があったのです。なぜなら、研究から離れた一個人としてあの災害を思い出したくない、どのように話せばよいのかわからないという理由があったからです。研究の立場でも自身の体験をどのように扱ってよいものなのかもわからなかったのもあります。私はそのような理由から話すことをためらったのです。しかし、彼らから返ってきたのは「研究者として失格だ」、「被災体験を話していかなければならないのに何を考えているんだ」などひどいものでした。たしかに自身の体験を研究上に乗せられないのは私の腕がまだまだ未熟なのは確かでした。でも、私は研究者の端くれでもあり、被災者でもありました。心に消えない傷をつけられたのです。

 

もう一つは研究室での”吊るし上げ”でした。私の研究室では同窓会という名目の学会があります。その学会に私は卒業論文を発表することになっていました。しかし、その学会では他大学からきた人間を潰すという伝統がありました。この伝統に他大学からきた私は餌食となったのです。論文の端から端まで批判され、私の素質まで批判してきたのです。学問は批判されてなんぼの世界なので批判自体はむしろwelcomeでした。私は自身の研究にできるだけ真摯に向き合い、欠点や課題をできるだけ把握していたので、返せる部分は返答し、できないところは今後の課題としたのです。ですが、学問の批判より私の素質の批判が多く、そればかりは返答できませんでした。まさに”吊るし上げ”でした。他の研究室からきていた方々からのちに「あれは潰しにかかっていた」と話していたことから、他者からみても私は”吊るし上げ”にあっていたのです。

その発表のときに司会をしてくださっていた良き先輩も私のせいで批判の対象になっていました。それぐらい学会はヒートしていたのです。下段したときも、周りから「もとの学校にかえれ」、「あれは研究者になれない」などの罵倒を浴びました。今でも、その先輩のことや罵倒されたことが夢に出てきます。私にとっては衝撃的な体験でした。

 

これらの体験がより一層、不調に繋がっていきました。その後の私は常に腹痛持ちになってしまい、睡眠したくてもできない状態に落ちいりました。研究しても頭に内容が入ってこないようにもなりました。

 

今回はここまでにしておきます。次回はうつ病の発症と入院についてお話していきたいと思います。